「生駒の古道」(生駒民俗会)によると、「仏坂」とは、「両国橋の南から上がってくる伊賀街道と、東南の押熊、平城を経て佐紀、奈良へ至る一条街道との合流点」と記されています。
仏坂地蔵(享保十六年1731) |
現在の生駒市鹿畑町を南下し山田川に出合う一帯は宅地開発が進み、かつての丘陵地帯はすっかり切り崩されています。本書で紹介された仏坂地蔵は、高山・伊勢街道からやって来た旅人を出迎えていたに違いありません。
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二ヶ所に存在する「仏坂地蔵」
生駒の古道で紹介された仏坂地蔵 |
本書を読んだことがある方なら、「あれ、何か違うぞ」とお感じになったかもしれません。本書で紹介される仏坂地蔵は、木の根元に建てられた小さな祠内で、こじんまりと祀られた山型のお地蔵さんです。(上掲の写真)
山型地蔵立像(紀年不明) |
この小さなお地蔵さんには、一切の銘は刻されていません。しかし、本書では以下のような銘が刻まれていると云う。
正面 見聞騰礼一念間願主
利益人天無量事木村宗佛
背面 享保十六年 和州
辛亥十一月 鹿畑村
お地蔵さんの涎かけを外してみれば一目瞭然。間違いであることに気が付いたはず。しかし、そんな罰(ばち)当たりなことをしたせいなのか、帰ってからくしゃみと鼻水が止まりません。大小に関わらず、いずれのお地蔵さんも、今日まで脈々と信仰を集めておられます。
船型地蔵立像 |
背面の銘、享保、辛亥など読み取れる |
場所は違っても、仏坂のお地蔵さんであることは間違いございません。尤も、いずれのお地蔵さんも、元の場所とは異なるのかもしれません。
参考文献
生駒市石造遺物調査報告書(生駒市教育委員会 平成8年)
生駒の古道-生駒市古道調査-(生駒民俗会、平成二十六年)
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