繁榮山慈光寺(交野市星田三丁目)の石造遺物

慈光寺山門
立派な慈光寺山門



交野市星田三丁目の慈光寺は西山浄土宗に属するお寺で、河内西国三十三所の観世音菩薩第二十三場目として知られる人気のスポットです。


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撮影は桜が満開の頃


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石仏ファンの聖地・慈光寺の境内




360°パノラマでグリグリと一周回ってみてください。北向きに立つ本堂の西手にズラリと石仏が並べて祀られています。それらの中でも多くの石仏ファンを魅了する十三仏板碑が小さな覆い屋に安置されています。


十三仏堂
十三仏堂(チラ見せ)



十三仏堂の横に立つ通称「額賀地蔵」と称される阿弥陀如来立像はあまりにも有名過ぎ。当サイトで取り上げるまでもなく、多くの石仏サイトで語られています。


額賀地蔵
額賀地蔵(阿弥陀如来立像)



通称の由来は交野市額賀町の下水道工事の際に地下1.3mの地点から出土したことに因んでいます。その際、石仏は頭部を北に向けたうつ伏せ状態だったとか。衣文の表現から室町時代(前期前半)頃と推定されています。長方形の形態は星田地域でよく見る石がんの一部として造立されたものでしょうか。


宝瓶三茎蓮文様
宝瓶三茎蓮文様(全体像)



さて、当サイトで取り上げるのは、今回も写真では伝わりにくい宝瓶三茎蓮文様を刻された石がんの部材です。慈光寺本堂の奥に石塔、石碑類が集められており、その中の最奥に置かれていました。石材のやや右寄りにしっかりと宝瓶が浮かび上がっているのを見ていただけると思います。


宝瓶三茎蓮文様
宝瓶三茎蓮文様(拡大)



花崗岩の表面は摩滅が激しく薄肉彫りのため、茎の部分はよく見えませんが、縦長で中央部が左右に膨らんだ宝瓶と中央の蕾はハッキリと形を肉眼でとらえることができました。宝瓶の彫られた位置と整形の具合から、石がんの右側壁として用いられたと思います。資料によると、この石がん部材は交野市で現存する宝瓶三茎蓮文様としては最大とのこと。


宝篋印塔
宝篋印塔の基礎



いかな石仏ファンでもコレを見るために遥々と星の降る里「星田」まで来る人はいないでしょう。しかし、石造遺物資料としては大変貴重なモノです。「上二段式で、各面には輪郭をとり、その中に格狭間を配す」という資料の描写そのもの、知らないとただの四角い石です。額賀地蔵とほぼ同じ時代に造立されたと考えられています。塔身はやはり、土中に眠っているのでしょうか。

  • 訪問日[2015.12.13 / 2016.04.06]

  • 参考文献
    交野市の石造文化財2-群津・森・寺・傍示・星田地区編-

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